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ジェンキンス(曽我ひとみの夫)死因と娘たちの現在は?経歴や亡命後の生活も!

画像引用元:Twitter

北朝鮮の拉致問題が話題になる度にジェンキンスさんのことを思い出す人も多いのではないでしょうか?

ジェンキンスさんは拉致被害者の1人である曽我ひとみさんの夫で、曽我ひとみさんが帰国した後に娘たちと一緒に日本に亡命し、北朝鮮での様々な体験談を打ち明けました。

そんなジェンキンスさんの経歴や北朝鮮に渡った理由、死因、娘たちの現在などについて調べてみました。

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チャールズ・ジェンキンスの経歴

画像引用元:Twitter

名前 チャールズ・ジェンキンス
生年月日 1940年2月18日
死没 2017年12月11日(77歳)日本新潟県佐渡市
出身地 アメリカ合衆国ノースカロライナ州リッチスクエア
所属 アメリカ陸軍
軍歴 1955 - 1965
ノースカロライナ州軍
第1騎兵師団
最終階級 軍曹(1965) → 二等兵(2004)

ジェンキンスさんの両親の実家は両方とも綿花農場を営んでおり、両親は幼馴染だったそうです。

ジェンキンスさんの父親はジェンキンスさんが子供の頃に亡くなり、その後は母親が看護師として働くようになりました。

小さい頃から学校嫌いだったジェンキンスさんは、中学時代には早々に高校進学を諦めていたので、学校以外の時間や夏休みにはアルバイトをしてお小遣いを稼いでいました。

同時期にノースカロライナの州兵と彼らの訓練に興味を持ったジェンキンスさんは、1955年に15歳でノースカロライナ州軍に入隊志願を出し、州兵登録が受理されました。

本来なら最低でも17歳にならないと入隊できなかったのですが、ジェンキンスさんは出生証明書がなかったため、年齢を偽って入隊したそうです。

1958年、州軍から連邦陸軍へ転属を希望し、第1機甲歩兵師団に配属され、1959年に上等兵に昇進しました。

その頃、韓国に行くとすぐに出世できると聞いて配属転換を願い出て、数日後には韓国行きが決まりました。

北朝鮮に渡った理由

一時期、欧州軍に配属され、本人の希望で1964年9月に再び在韓米軍に派遣されたジェンキンスさんはアメリカ陸軍第1騎兵師団第8連隊第1大隊C中隊に配属され、キャンプ・クリンチに赴任しました。

この場所は、朝鮮半島軍事境界線の非武装地帯(DMZ)に接していたため、配属部隊はジェンキンスさんの所属する部隊のみで、慢性的な重労働と人員不足に悩まされていたそうです。

ジェンキンスさんの主な任務は監視や待ち伏せ、偵察などで、それだけでも十分な効果があり、ジェンキンスさんも任務に満足していました。

ところが、上から「ハンター・キラー・チーム」と称される偵察隊を率いてほしいと言われた頃から、ジェンキンスさんは可笑しくなったのです。

秘書
この偵察隊は意図的に北朝鮮を挑発する傾向があり、任務内容もかなり危険な内容でした。

ジェンキンスさんは危険な任務もしたくなかったのですが、何よりそういう挑発的な軍の作戦には内心、反対していたそうです。

さらに同時期、縁戚にあたるジョセフ・T・ジェンキンスさんがベトナム戦争に派遣されるという話を聞き、ジェンキンスさんは危ない偵察隊の任務に就くか、凄惨なベトナム戦争に駆り出されるかという二択に重圧を感じ、アルコール依存症になってしまいました。

トラさん
そこでジェンキンスさんが思いついたのが脱走(無許可離隊)だったのです。

脱走兵になって、敵国に投降し外交ルートで本国に帰国すれば嫌な任務に就かなくて済む。

ジェンキンスさんはそう考えたそうです。

後にジェンキンスさんは北朝鮮での人生を振り返りながら、過去の自分に向けてこのような言葉を述べています。

  • すぐに自らの行いを懺悔した
  • 要するに、私を脱走へ駆り立てたさまざまな理由は、若く、絶望し、見当違いをしている何千人という兵士たちが毎年逃亡するのと同じ理由だった。
  • 言い訳をするつもりはない。軍隊から脱走したのは卑劣な罪であるし、部下を見捨てたこともリーダーとしては全く最悪の行為だった
  • 私はあまりにも無知だった。一時的に身を寄せようとしていた国が、文字どおり常軌を逸した巨大な監獄であることを理解していなかった

ジェンキンスさんは元々、興味本位で軍に志願した若い兵士でした。

特別な正義感や愛国心はなく、ちょっとスリルのある仕事に就き、お金を稼げるという若い男性が惹かれやすい欲求のままに生きてきたのです。

だから、少しでも自分の意に沿わない任務には就きたくなかったし、まして凄惨な戦場で命を懸けて戦うなんて、まったくやる気はありませんでした。

でも、軍の命令は絶対だったので、とにかく楽にその場を逃れれば何でもいいと思い、脱走兵になろうと決心したのです。

そして、自分たちが敵対している国の実態を知らなかったため、ジェンキンスさんは一生涯、後悔するような大困難に陥りました。

それでも、その中で数少ない希望の一つは、曽我ひとみさんの存在だったのではないでしょうか?

曽我ひとみさんの帰国が叶ったことで、ジェンキンスさんもようやく娘たちを連れて2004年に日本に亡命することが出来たのです。

その後、ジェンキンスさんは在日米軍に出頭し、軍法会議を経てアメリカ軍を退役しました。

この頃にはジェンキンスさんは、自分の愚かな過ちを深く反省していたので素直に逃亡した事実を告げ、利敵行為であるとして処罰を受けました。

最終的に軍曹から二等兵に降格処分され、不名誉除隊と禁錮30日の判決が下されました。

若気の至り、軽い気持ちで行った行動がジェンキンスさんの一生涯を左右する大きな出来事になるとは・・・晩年、ジェンキンスさんもきっと思うところ多々あったのではないでしょうか。

2017年に亡くなった死因は?

ジェンキンスさんは晩年、妻の曽我ひとみさんと一緒に新潟県佐渡市に暮らしました。

2008年7月15日、日本政府から永住許可が与えられたことで、ジェンキンスさんは日本で余生を過ごしたいと答えており、実際に亡くなる2017年まで日本でずっと生活していました。

ジェンキンスさんが亡くなったのは2017年12月11日で、急に体調が悪くなり、自宅の玄関前で倒れて病院に搬送されるも、同日20時52分に亡くなられました。

死因については、

ジェンキンスは自宅玄関の前で倒れているところを発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。遺体は検視でMRI検査にもかけられたが、結局死因はよく分からず、死亡診断書には「致死性不整脈」と記された。

引用元:ニュースウィーク日本

とのことで、厳密には死因不明であるため、予想も含めて致死性不整脈と診断されたそうです。

娘たちの現在は!

ジェンキンスさんと曽我ひとみさんの間には2人の娘がいます。

1983年6月1日生まれの長女・美花さんと1985年7月23日生まれのブリンダさんです。

さらに、ブリンダさんが2017年に長男を出産したことで、ジェンキンスさんにとって初孫が生まれ、ジェンキンスさんは孫も大変可愛がっていたそうです。

生前のジェンキンスさんと現在の娘たちの職業については

新潟県佐渡市の曽我さんは、夫のジェンキンスさん(74)が土産物店、長女の美花さん(30)が保育園、次女のブリンダさん(28)が酒蔵で働く。

引用元:日本経済新聞

2014年にこのような報道がありました。

秘書
さらに、ブリンダさんは新潟県の一般男性と結婚し、2017年に長男を出産しましたね。

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