「日本学術会議」の会員任命の拒否を巡って次々と疑惑が浮上しています。
特にメンバー任命に深く関わったとして官房副長官の杉田和博さんに注目が集まっていますね。
今回は杉田和博さんの気になる経歴プロフィール、顔写真を簡単に紹介したいと思います!
スポンサーリンク
【顔写真有】杉田和博のプロフィール
- 名前:杉田 和博(すぎた かずひろ)
- 生年月日:1941年4月22日
- 出身地:埼玉県
学歴
- 埼玉県立浦和高等学校
- 東京大学法学部 卒業(最終学歴) ※偏差値 67.5
杉田和博さんが卒業した埼玉県立浦和高等学校の偏差値は74(2020年)で埼玉県内4位、全国でも33位という名門高校です。
経歴
年月 | 詳細 |
1966年4月 | 警察庁入庁 |
1977年 | 外務省在フランス日本国大使館一等書記官 |
1980年 | 警察庁警備局外事課理事官 |
1981年 | 警視庁警備部警備第一課長 |
1983年 | 内閣官房長官秘書官事務取扱 |
1985年4月 | 警視庁第一方面本部長 |
1986年8月 | 鳥取県警察本部長 |
1988年 | 警察庁警備局外事課長 |
1989年 | 警察庁警備局公安第一課長 |
1991年 | 警察庁警務局人事課長 |
1992年 | 警察庁長官官房総務審議官 |
1993年3月 | 神奈川県警察本部長 |
1994年10月 | 警察庁警備局長 |
1997年4月 | 内閣官房内閣情報調査室長 |
2001年1月 | 内閣情報官(初代) |
2001年4月 | 内閣危機管理監 |
2004年 | 内閣危機管理監退官 |
2005年7月 | 財団法人世界政経調査会会長 |
2012年12月26日 | 内閣官房副長官(事務担当) |
2017年8月3日 | 内閣人事局長兼務 |
役職
財団法人世界政経調査会理事(会長)
東海旅客鉄道株式会社顧問
1966年3月に東京大学法学部を卒業した杉田和博さんは、同年4月に警察庁に入庁しました。
あの有名な地下鉄サリン事件が発生した当時、杉田和博さんは警察庁警備局長として、事件に当たっていたようです。
警察庁警備局は警察庁の内部部局の一つで、警備警察に関する仕事を担当しています。
警備警察はいわゆる公安警察のことで、国内外にて日本の安全を脅かすテロ組織や暴力集団などに対する捜査や情報収集などを行います。
地下鉄サリン事件も集団的テロ事件だったので、杉田和博さんは警備局長として指揮を執っていたのですね。
警察内ではずっと警備・公安部門を担当し、その後内閣官房にて内閣情報調査室長、内閣情報官、内閣危機管理監など・・政権中枢で公安と危機管理を担ってきました。
2012年12月26日、第2次安倍内閣において内閣官房副長官に就任してからも政権の危機管理や公安意識は変わらずだったようで、今回の人事においてもそれが発揮されたのではないかと言われていますね。
政府に否定的な人を排除するというのは、確かに政権を守る手段かも知れませんが、警察の仕事と政治は同じではないので、同じ感覚でやってしまったのが世間の反感を買ったのかも知れません。。
日本学術会議任命拒否の元凶は杉田和博官房副長官であったか。この人は以前にも文部科学次官が持ってきた文化功労者の受賞者十人のリストから二人を差し替えさせている。理由は政権に批判的な事を書いたからだと言うのだが、ある程度のインテリでもってまったく政権に批判的でない人なんているのかね。
— 筒井康隆 (@TsutsuiYasutaka) October 14, 2020
さらに杉田和博さんは「危機管理には通じているが、社会福祉や経済といった国民生活全体を見渡す視野の広さに欠けている」とも評価されているようで。。
これからは杉田和博さんが逆に、世間から様々な疑惑を追及される立場になるかも知れませんね。。。