サンプラザ中野くんの素顔に迫ってみます。
誰?と思う方や懐かしいと感じる方色々いると思います。
実は娘さんから父であるサンプラザ中野くんへの赤裸々な暴露記事がありましたのでご紹介いたします。
私なりの解釈も付け加えております。
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サンプラザ中野くんの素顔を娘が暴露
Runnerがヒット中の89年3月にデビュー前から交際していた同い年のOLと入籍発表し、その時2歳の娘がいることがわかりました。
その娘さんが今回赤裸々に父であるサンプラザ中野くんを語っています。
週刊文春では仮名(亜紀さん)となっていますのでそのまま使用します。
娘による暴露①中絶を望んだ
「実は3年半前に、彼女から子供ができたと言われました。まだ学生だったし、給料も2万円と安かったので悩んだのですが、僕たちの愛の結晶なので産んでくださいとお願いしました」
と会見で当時サンプラザ中野くんは語っていました。
しかし、亜紀さんは母から聞いたことは
「自分は弱小プロにいる状態で責任は持てない。産んだところで育てられるのか? 俺は知らない」
母がその後も産むつもりでいると、中絶の期限が迫ったときに、父は土下座して
『堕ろしてください。お願いします』と言った。
引用:文春オンライン
これが本当だったら亜紀さんは非常につらい精神状態に陥るのではと思います。
娘による暴露②よい子と命名された
ファーストアルバムの「よい」から「よい子」と名付けられたのですが、大きくなってから亜紀さん(仮名)に改名しています。
どんな名前でもいいと思いますがなんかサンプラザ中野くんは適当過ぎる気はします。
ところがそんな適当なところと素晴らしいヒット曲とは不可分で表裏一体。んー💦
基本は親の自由なので何とも言えませんが。
娘による暴露③慰謝料を渋る
その後亜紀さんが小2の時に両親は離婚し、サンプラザ中野くんは生活費40万円と家賃を負担する約束をしたが3年過ぎると払わなくなっていったようです。
まあよくある不幸話しですがやはり子供の立場としては辛かったと思います。
ところが母親は彼の不義理を内緒にしていて、亜紀さんがそのことを分かったのは高校3年の受験期だったようです。
母親が偉いの一言ですね。強いというか。
最も弱っている時にそのそぶりも見せずに、子供を不安にさせないという姿勢に尊敬の念を抱きました。
母親の前に一人の女性なので孤独で心細い気持ちがあったと思います。
その気持ちに耐えて、子の親に徹する所は中々真似できる人は少ないと思います。
結局、慰謝料や養育費については、未払い分あわせて1億円を亜紀さんが大学卒業するまで支払うように協議したのですが1700万円の分割払いで落ち着いたようです。
これには賛否あると思いますが私個人的にはサンプラザ中野くんが支払ってくれる人でまだ良かったと思います。
世の中の離婚では協議すら応じてくれないケースがほとんどだからです。
自分の財産は全て娘に残す
「マンションのローンや実家への仕送りが厳しく、それだけしか払えないということでした。父は『Runner』がヒットした直後に、税金対策として港区にマンションを購入し、伊豆に別荘も持っていましたが、それらを処分することは強く拒否してきたんです。その代わりに父が繰り返した主張が、『自分の財産は全て娘である私に残す』というものでした」
引用:文春オンライン
しかし、その後ショッキングなメールが届きます。
サンプラザ中野くんは長く同棲していた女性と結婚することとその相手はすでに子供を身籠っていると亜紀さんに伝えてきたのです。
財産が減る事に不満
それで私は父に〈離婚もしくは死別した際に財産の半分が配偶者のものとなることはご存知でしょうか〉とメールしました。
引用:文春オンライン
ここから私の亜紀さんへの同情的なスタンスから憐憫というか哀れみで見る位置に変わります。
彼女は確かに有名人の子どもでハッキリ言って可哀そうな方です。
しかし自分の人生を生きなければいけません。
これではまるでお父さんに固執して目先のお金に拘っているようにしか見えません。
自分で切り開いてそんなはした金いらないくらいになって欲しいと思います。
娘さんの葛藤
母はお金のことをきちんとしてくれと父に訴えて、父の知人の第三者を間に立てて協議を行いました。その人に母が説明するため、2人の経緯をまとめた書類が家に置かれていたのを偶然見てしまい、中絶の強要があったことを知ったのです。私はアイデンティティが崩壊し、自分を汚らわしいと感じるようになりました
引用:文春オンライン
高校生の時期にこれを知ってしまうとショックですよね。
確かに離婚したとはいえ、親である父親が自分の誕生を望んでいなかったことを知ったら悲しくなりますよね。その気持ちには同情します。
サンプラザ中野君のプロフィールと略歴
年齢は1960年8月15日生まれで59歳。
千葉県立東葛飾高校でパッパラ河合と出会う。
早稲田大学在学中の1980年にスーパースランプに参加。
1982年にファンキー末吉の勧誘でスーパースランプを脱退し、爆風スランプ結成。
引用:Wiki
代表曲Runner (ランナー)について
1988年10月21日発売された12枚目のシングルです。
売り上げ枚数は34万枚です。
これしか知らないという方も多いと思います。
歌いだしが「走る、走るおれたち・・」です。
この他に有名な曲は「大きな玉ねぎの下で」「りぞらば」などがあります。
『くん』付け
2008年1月15日の「踊る!さんま御殿!!」にて「サンプラザ中野」から「サンプラザ中野くん」に改名を正式発表した。
本人は「サンプラザ中野くん」と呼び捨てにして欲しいと希望しているようです。
引用:Wiki
まとめ
週刊誌の話なので話半分で聞くべきでしょうが、本当の話だったとしたら幸福な幼少期ではなかったのは確かです。
ただ、世の中にはいいかげんな父親や母親も多いですが大人になってしまえばみんな自由です。
是非亜紀さんには過去に拘らず大きな世界にはばたいて欲しいと個人的には思います。