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日本ハンドボール界のレジェンド!宮﨑大輔選手の現在は!?

画像引用元:Twitter

TBS系列で放送されていたスポーツ番組である「最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo1.決定戦」において2016年放送分で総合1位を獲得した宮﨑大輔選手。

ハンドボールという競技を広めるとともに、イケメンで運動神経抜群という事で注目を集めた宮﨑選手ですが、一時はバラエティーを含めた色々な番組に引っ張りだこでした。

現在は、以前ほど宮﨑選手を拝見する事が少なくなったような気がしましたので、宮﨑大輔選手の現在について調査してみましたので御覧下さい。

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宮﨑大輔の現在は?

宮﨑選手は11月5日に放送された「踊る!さんま御殿」に出演し、変わらぬイケメンぶりを見せてくれましたが、在学中の日本体育大学でもハンドボール部に所属しています。

2019年4月の関東学生春季リーグ男子1部では、宮﨑選手が16年ぶりに大学ハンドボールのコートに立つという事で報道陣が殺到し、試合でも1得点を挙げて日本体育大学の勝利に貢献しています。

テレビ等のメディアでハンドボールの認知度のために貢献し、再入学した日本体育大学でも若手育成のために尽力をしており、これからも日本ハンドボール界の生きるレジェンドとして頑張って欲しいと思います。

宮﨑選手の現在に至るまで

  • 大分電波高等学校(現在は大分国際情報高等学校に校名変更)に特待生として進学
  • 高校3年時には全国高等学校ハンドボール選抜大会とインターハイの両方の大会で得点王を獲得
  • 日本体育大学に進学し、インカレではチームを2年連続16回目の優勝に導き、宮﨑選手はMVP(最優秀選手)に選出
  • 大学4年時に中退して日本ハンドボールリーグに所属する大崎電気に入団
  • 大崎電気では2004-05年シーズンに最優秀殊勲賞、ベストセブン、最優秀選手賞、新人王に輝き、第45回全日本実業団選手権でも新人賞を獲得
  • スペイン・リーガASOBALのCBアルコベンダスと契約
  • 残留を断り、日本ハンドボール界に尽力するため、大崎電気に復帰
  • 2019年、日本体育大学に再入学

高校時代の練習量は全国一

宮﨑選手は大分県大分市出身のハンドボール選手ですが、大分市立明野北小学校3年生時代にお姉さんの影響でハンドボールを始め、大分市立明野中学校進学後もスター選手として活躍し、中学卒業後ハンドボールの名門である大分電波高等学校(現在は大分国際情報高等学校に校名変更)に特待生として進学しました。

高校時代の部活について「練習の厳しさはおそらく日本一じゃないかなっていうぐらいすごかったです。毎日、朝練から始まって授業が終われば3時半ぐらいから夜の11時ぐらいまで練習っていうのも当たり前でしたね。そのうえ休みは年に1、2日。それぐらい毎日ハンドボール漬けですから、休みの日にも遊び方を知らない高校生でした。」というコメントをしており、本当に厳しい練習を乗り越えてきた事がわかります。

そして、その厳しい練習は実を結び高校2年時には全国高等学校総合体育大会ハンドボール競技大会(インターハイ)で得点王に輝き、高校3年時には全国高等学校ハンドボール選抜大会とインターハイの両方の大会で得点王を獲得しました。

日本体育大学へ進学

大分電波高等学校卒業後はハンドボールの伝統校である日本体育大学に進学し、大学2年時の全日本学生ハンドボール選手権大会(インカレ)ではチームを2年連続16回目の優勝に導き、宮﨑選手はMVP(最優秀選手)に選出されました。

2001年から約2年間は日本体育大学を休学して、日本ハンドボール協会からの派遣で、ドイツのハンドボール・ブンデスリーガと並び、世界最高峰のハンドボールリーグとして世界的に有名なスペイン・リーガASOBALのグラノジェルスというチームに練習生として留学しました。

ポルトガルで開催された世界学生選手権では、ベストセブンと得点ランキング2位に輝き、その後は日本体育大学に復学しましたが、大学4年時に中退して日本ハンドボールリーグに所属する大崎電気に入団しました。

社会人から実業団へ

大崎電気では2004-05年シーズンに最優秀殊勲賞、ベストセブン、最優秀選手賞、新人王に輝き、第45回全日本実業団選手権でも新人賞を獲得するというプロ選手としても順調な滑り出しを果たしました。

2008年には第49回全日本実業団選手権では最優秀選手に選ばれましたが、2009年4月に大崎電気との3年契約が終了したことから大崎電気を退団し、スペイン・リーガASOBALのCBアルコベンダスの入団テストに合格して契約しました。

念願のプロ契約と活躍

入団時の目標に掲げた100得点をクリアして一定の活躍をしましたが、2010年に残留のオファーを断って帰国し、大崎電気に復帰しました。

帰国した理由は「スペインで学んだことを日本代表に還元し、ロンドン五輪出場を果たすため」という事で日本ハンドボール界の為に全力を出している事がわかります。

そして、2019年3月12日に自身のブログにて大崎電気を退団し、中退した日本体育大学に再入学する事を報告しました。

宮﨑大輔のプロフィール

出典:twitter

名前 宮﨑 大輔(みやざき だいすけ)
生年月日 1981年6月6日(38歳)
身長 174cm
体重 75kg
出身地 大分県大分市
職業 ハンドボール選手

宮﨑大輔の日本代表での活躍

宮﨑選手は学生時代、大崎電気、スペイン・リーガASOBALと様々なステージで活躍してきましたが、日本代表としても国を背負って戦ってきており、2003年には日本代表としてアテネオリンピックのアジア予選に参加し、2005年1月には世界選手権の日本代表に選ばれました。

2007年の北京オリンピックのアジア予選日本代表に宮﨑選手が選出されましたが、その北京オリンピックのハンドボール競技において、主に国際規模のスポーツイベントにおいて試合日程や判定が著しくアラブ諸国に有利になる事象である「中東の笛」問題が日本国内に広く知れ渡りました。

2008年1月30日に行われた北京オリンピックアジア予選再試合に出場し、同年5月30日から6月1日の世界最終予選に出場するも敗退、2015年はリオデジャネイロオリンピック・アジア予選の日本代表に選出されるも残念ながら予選敗退に終わりました。

2017年7月29日に行われた日韓ハンドボール定期戦では、リオデジャネイロオリンピック・アジア予選以来2年ぶりに代表に復帰し、左サイドで先発出場し2得点を挙げました。

日本代表として日の丸を背負い、活躍してきた宮﨑選手ですが、現在は選手としてのピークを過ぎ、2017年以降は代表として選出されていません

宮﨑大輔のまとめ

イケメン選手としてハンドボールの広報に尽力してきた宮﨑選手ですが、ルックスだけでなく実力も伴っており、名門高校から日本ハンドボールリーグ、ハンドボールの世界最高峰であるスペインリーグでも活躍し、日本代表としても長年活躍を続けてきました。

現在は、一度中退した日本体育大学に再入学し、ダブルスコアくらい年齢の離れた後輩たちに経験してきたテクニックやトレーニング法を伝授し、これからのハンドボール界の事まで考えているようです。

数々の挑戦をしてきた宮﨑選手が今後はどのような新しい挑戦を見せてくれるのか楽しみにしたいと思っています。

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