政府の公式発表では、新元号『令和』の引用は、万葉集であり国書からと発表がありました。
しかし、ここにきて、実は中国古書からの孫引きでは?という声が挙がっています。
一体どういうことなのでしょう?
新元号『令和』の引用元の引用元を調査してみます。
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新元号『令和』実は中国からの孫引きの可能性
新元号である『令和』の”令”と”和”という字が使われている古書は、実は中国の詩文集である『文選』(もんぜん)からでも確認できます。
それは中国の張衡(78-139)が著した「帰田賦」という書物の「於是仲春令月 時和気清」という一文です。
原文の画像はこちらになります。
確かに原文画像を確認すると、「於是仲春令月 時和気清」という一文を確認することができますね。
そして肝心なのは、これが著された月日ですが、著者の張衡(78-139)は生年月日から分かる通り、1世から2世紀に活躍した人物です。
政府が引用したとされる梅花の歌は、山上憶良(やまのうへのおくら)が天平二年(730年)に詠んだものとされていますので、張衡の「帰田賦」の方が梅花の歌より前に著されていることが明白です。
帰田賦について
- 著名:帰田賦
- 引用文:於是仲春令月 時和気清
- 書き手:張衡(78-139)
- 日時:1世紀から2世紀ごろ
- 出典:『文選』(中国の詩文集である)
万葉集『梅花の歌』について
- 著名:梅花歌三十二首幷序
- 引用文:初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香
- 書き手:不明(山上憶良という説有り)
- 日時:天平二年正月十三日(730年)
- 場所:日本の大宰府(現在の福岡県太宰府市) )にあった大伴旅人の邸宅
梅花の歌については、下記記事で詳細に調べましたので、参照して頂ければ幸いです。
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ということで、令和の引用は『万葉集(梅花の歌)』からと思われていたのが、公表後僅か数時間で、実は中国の張衡(78-139)「帰田賦」の孫引きでしたと分かり、ネットでは一時騒然となりました。
そもそも山上憶良や大伴旅人などの奈良時代の歌人達の多くは、中国の『文選』を呼んでいた可能性が高く、「梅花の歌」も自然と「帰田賦」に似た文章になった事も考えられます。
それだけ当時の日本は、中国の影響が大きかったはずです。
更に岩波文庫の公式Twitterでは、新元号「令和」を用いた万葉集の出典は、張衡「帰田賦」の句を踏まえていることを指摘されています。
新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』https://t.co/2VXbiq7Iw8 の補注に指摘されています。
「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五)」とある。」 pic.twitter.com/wBqpNVWN0M— 岩波文庫編集部 (@iwabun1927) 2019年4月1日
『令和』時系列まとめ
ここで一旦、令和に関する時系列をまとめてみます。
- 張衡「帰田賦」(AD78-139)
- 王羲之「蘭亭序」(AD353)
- 昭明太子「文選」(AD501-531)
- 大伴家持「万葉集」(AD759)
- 日本政府が新元号「令和」を発表(AD2019)
中国での『令和』の始まりは、張衡「帰田賦」と王羲之「蘭亭序」の礼記月令篇も踏まえたのが始まりで、昭明太子の文選によって編纂されたのが日本に伝わりました。
その後日本では、その文選を踏まえた上で万葉集が作られたとされています。
こうやって時系列でみると、ルーツはやはり中国ということで間違いなさそうです。
しかし、”梅”というオリジナリティが加えられて作られたのが『梅花の歌』であり、まるっきりコピーされたわけではありません。
なので、出典は万葉集と言ってもおかしくはない気がします。
そもそも漢字が中国から伝わってきている時点で、生粋の国書からというのは難しいですし、それよりも初の国書『万葉集』から獲るという画期的な試みをしつつ、元を遡れば四書五経の『礼記』にたどり着くという伝統を踏まえられているので、非常に考えられていると思います。
さらに、皇太子殿下の誕生月である二月の異称「令月」も含まれていますので、これ以上ない元号と言えるのではないでしょうか。
ちなみに『令和』を考案したと考えられる有識者は、"中西進"教授と言われています。
考案者や中西教授については、下記記事にまとめていますので、参照して頂けると幸いです。
『令和』を用いた引用文を現代語訳してみた
ちなみに梅花の歌と帰田賦の両方で用いられている『令月』という字ですが、これは”立派な月”という意味になります。
この意味を踏まえて、二つの文を読み解くと下記になります。
ポイント
帰田賦:於是仲春令月 時和気清=ちょうど今、春まっただなかの立派な月の日、ぽかぽかして空気はきれい
梅花の歌:初春令月、氣淑風和=時は初春の立派な月、空気は美しく風も和やかで
帰田賦の方は、張衡が宦官による政治腐敗に耐えきれなくなって帰郷した時の詩とされています。
ちょうどもうすぐ三国志の動乱が始まる頃の時代のため、いかに政治が腐敗し民心が離れていたか読み解ける詩ですね。
梅花の歌の方は、ちょうど中国から日本に梅が持ち込まれ、その珍しさに梅花にちなんで短歌を歌ったものとされています。
梅花の歌と帰田賦の現代語訳については下記記事で詳細に述べていますので、よかったら参考にして見て下さい。
帰田賦引用に関する世間の声
まとめ
新元号『令和』の引用元の引用元は、中国の張衡(78-139)が著した「帰田賦」からと判明しました。
よって、新元号の由来も、元々は漢籍であることが指摘されています。
そのため、国書からとした政府の意図には疑問の声も上がっていますが、政府は敢えて知っていて国書から引用したと発表した可能性があります。
そうだとすれば、有識者会議にて、敢えて国書からとすることで、日本人の歴史観について一石を投じようとしたのかもしれませんね。
確かに、国書から元号を取ったと言われれば、日本人自身が多少なりとも誇りを持つようになったりと意義を感じる場面もあるでしょう。
我々日本人が使う元号ですから、日本人第一に考えてくれた点は、前向きに捉えたいですね。